女優の大原麗子(おおはら・れいこ=本名同じ)さんが死去していたことが6日、分かった。62歳だった。東京・世田谷区内の自宅で死んでいるのを会社員の実弟と警察官が発見した。死後数日がたっていた。警察によると、死因などの詳細は不明だが、事件性は薄いとみられる。大原さんは29歳の時に発病したギラン・バレー症候群に苦しみ、ここ数年は仕事もセーブ。昨年11月には同病の影響で自宅で転倒し、右手首を骨折していた。
美人の代名詞とうたわれた名女優が、ひっそりとこの世を去っていた。
警視庁によると、この日午後6時半ごろ、弟と捜査員5人で自宅に入ったところ、2階の寝室であお向けになって倒れている大原さんを発見。同7時10分に大原さんの死亡を確認した。死後数日たっていたが、腐乱はひどくなかったという。目立った外傷もなかったため、事件性は薄いとみられる。全裸だったという情報もある。
死因は病死の可能性が高いが、遺体は同署に安置されており、弟の承諾を得れば行政解剖を行うという。弟からは3日に電話で「2週間ほど連絡が取れない」と相談があったが、施錠されていたことや弟が仕事で多忙だったことから、捜索はこの日まで延びたという。
午後9時ごろに死去の一報が伝えられると、閑静な住宅街の中にある自宅前には報道陣が殺到。周囲には規制線が張り巡らされ、物々しい雰囲気に包まれた。
大原さんは64年にNHKのオーディションに合格して女優デビュー。アンニュイな演技と日本的な美ぼうが注目を集め、映画「男はつらいよ」では2作でマドンナを務めたほか、映画、テレビの人気作にも多数出演。サントリーのウイスキー「レッド」のCMでの「すこし愛して、なが~く愛して」のセリフは流行語にもなった。
日本を代表する女優として第一線を走る一方で、29歳の時に運動神経に障害が出るギラン・バレー症候群を発症。原因不明の難病に認定されている病気と闘いながら、89年のNHK大河ドラマの初主演を務めた「春日局」は平均視聴率32・4%を記録し、国民的女優の名を不動のものにした。
しかし、99年ごろに病気が悪化して以来は仕事をセーブ。03年には舞台「眠り人形」で久々に仕事復帰したが、以後は再び自宅にこもりがちになり、うつ状態にも悩まされていた。昨年11月には病気の症状が出て自宅で転倒、右手首を骨折したが、インターホン越しに「うつはもう大丈夫みたい」と話していた。また、91歳の実母が施設に入所しており「母と暮らすのが私の幸せで、支えになってもらっています」と話していた。
私生活では、俳優の渡瀬恒彦(65)、森進一(61)との結婚、離婚など数多くのゴシップも提供。森と離婚した際に発した「家庭に男が2人いた」という言葉は話題になった。公私に圧倒的な存在感を残した女優人生。その幕は、ひっそりと静かに下りた。
◆大原 麗子(おおはら・れいこ)1946年11月13日、東京都生まれ。64年にNHKの新人オーディションに合格し、ドラマ「幸福試験」でデビュー。65年の「孤独の賭け」で映画デビュー。映画、テレビでトップ女優として活躍し、89年のNHK大河ドラマ「春日局」に主演。サントリーレッドのCMも人気を博した。73年に俳優の渡瀬恒彦と結婚し、79年に離婚。歌手の森進一と80年に結婚したが、84年に離婚した。
編者小語
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- Aug 07 Fri 2009 09:45
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